物理世界と生命世界は地続き

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高卒間近い時期に、担任宅へ遊びに行った際に、やってみるか〜?と気軽に受けた適性試験の結果が、「生物化学分野」向き、という結果に驚いたことがある。それは生物が嫌いだったせいもある。IQ:136って結果も・・・

生物の教師に原因があったのだが、科目の成績がどうだったかの記憶もなく、虫は嫌いだったし、その科目も分野にもそうそう興味がなかったのも事実だ。

最近思うことですが、数十年を経た自分が、実際、生物学というより、人間学と宇宙の関わりを結びつける聖書との出会いもあって、視点が大きく変わった。

1番のきっかけは、何と言っても自身の最初の子供が病気で生まれたこと。それも、まずは1年持たないかも!という医療のむなしさがあり、家庭を取り巻く宗教や信仰への疑問だった。

しかし、そんなものに頼ったり感情をぶつけてみても解決にはならず、結果的には、地道に栄養、カラダの仕組み、人間観察、環境の気配や気候、日常の差異や変化の認識など、言葉を発しないものから発せられる電磁波を受信し解読する学習熱は想像を超えたものかもしれない。

きのう出あった、台本通りに進行する「新型コロナ」騒動!という記事にある、闇の世界の歴史を理解し、彼らが手にする生物兵器とでも言おうか、そういった社会の影響もあって、今後1、2年先の社会の変化を読み解く上でも、敵を知るのに、広範囲な知恵が要求される。    

そういう意味で、物理と生命の心理を見つめる今回の記事は興味を惹かれる内容でもある。
一神教多神教なる区分があるが、どちらが良い?というのは間違いで、例えば、ノーベル賞一神教的で、他は多神教と捉えると、実は、今回の話にも通じる。
自分たちが肩書きや権威に惑わされて、いや、そう洗脳するがための「権威」を応用した社会が現代とも言えるが、最終的な結論でもない物理世界の理論を多くの人が正しいものと勘違いしている。
コロナ騒動にしても、普通に考える知識や知恵がある人なら、マスクなどしない当たり前の勇気を持ち合わせるはずだが、エッフェル塔では11歳以下の人はマスク不要と表示されているのに、日本では、幼児にまでマスクをさせて自信ありげに買い物するお母さんを見かけると、子供が可哀想、と感じる。

記事の中に、そのために「マスコミ×専門家」が寄って立つ、「近代思想・近代科学」のおかしさに気づくことは非常に重要だ。とあるが、一神教多神教双方をよく理解し、なぜそれぞれが生き残る考え方の必要性を考えれば、この世の「悪」に負けない心理も見えてくる。

解剖生理Q&A 記事一覧、というページがあるが、ここにどういうわけか脾臓のことが出ていない。西洋医学系の記事ではこのように脾臓のことがあまり詳しく紹介されていないケースが多く、以前から疑問に思っているのですが、東洋医学系ではかなり重要な内臓器官とみなされていて、自分の健康保持でも中心に位置するほど手当の重きがあるので、逆に考えて、西洋医学を維持するにはこれを重要視しないほうが都合がいいのかな〜と勝手に考えている。

 

欧米物理学(ノーベル賞派)とスミルノフ宇宙物理学(反ノーベル賞派)の考察

1、 科学史から見た量子力学の間違い

2、ハイゼンベルクと湯川博士と第二次世界大戦

3、
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すでに軍事力で米国を上回る、と言われるロシアの実力からみて、ノーベル賞自体が、ある意味イカサマである可能性さえ感じる。

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