自分のビットの現状

こんかい紹介したものは、ここ最近自分が使うSNS環境群。他にも試行錯誤的に使う多数のブログやアルバム、Webサイトらがありますが、ほぼこれらに集合しつつあります。

今後新たなサービスが生まれる可能性もあったり、消え去るものもあるだろうし、未来永劫これらが生き残るものではないかも知れませんが、前回の記事にもあった「ビットの時代」のルールが何とはなしに理解しつつあります。

上記に上げたサービスの詳細は省略しますが、どれかに情報をアップすると他のサービスの幾つかに連動して内容が伝達される心地よさと便利性は、囲い込み文化の他の国産の同様のものとは今後の進展度で大きな差がある気がしてます。

国産のNSNは社会貢献とは的外れな方向を向いてるものが多い。追われる側に回ったのか、最近のFacebookも「囲い込み」的な変化が気になる。FB社がinstagramというサービスを手に入れましたがPinterestでなくて安堵してます。むかし、Adobe社がよくライバル製品を購入してはボツにし、結局使い勝手の悪い、ただ高価な多機能製品ばかりのこし、ソフトウェアの発展を阻害し続けたのはマイクロソフトも同じ。Facebookもそれらに似てきたということか。

「Winsows好きな私が仕方なくMacを買って・・・・」という記事があって、WinとMacの画面表示品質の違いが未だに続いていたことに驚いた。もしかして特許? でなければ印刷物の字と画面の字の差があまりに大きすぎる。むかーし白い紙面と黒い背景のモニター間を行き来した時代と比べても、原稿と画面の違和感は目(or 頭)を疲れさせるのでとても気になる。

こちらの記事にある、表面的には気づかないWinとMacの大きな違いが、実はマックユーザーには当たり前に気づいている人が多い。触って見なければ分かり得ない大きな差異なのです。これらの話は次の記述にも関連があるのです。

この左のアイコンは 世界初のソーシャルマガジンFlipboardと呼ばれる、ビット時代の自分電子情報誌とでも言えるアプリ。こちらのリンク先にinstapaperとの連携作業が紹介されています。

Flipboardは自分のTwitterFacebookに投稿された情報を、即、電子出版物風に画面に表現してくれ、それを読みながら重要なものをinstapaperにブックマークしておくと、ボタンクリックでiPad用のBook形式に保存され、自分だけでなく、読んでもらいたい、例えば学生や社員、外部の読者対象のパンフや資料として簡単に配布できる。それもWin的な見にくさでなく、印刷物に負けないくらいの品質と使いやすさを備えたものとして。

こうした一連の作業性の完成度を見てると、記者が記事を集め、写真や動画を交えて配置を考え、校正しながら体裁を整え発行する仕事が、末端の個人でさえ簡単に行える時代がほぼ完成しつつあると感じさせます。Macから、iPadから、最終作品の電子雑誌をネットを通じて配布でき、紙に印刷しても品質が確保される環境はアップル製品の完成度が数年先を行ってるように感じます。

こちらにSNSを手がけて混乱する様子をうったえる記事があります。現実のアトム社会とビット社会を上手に往来するた手ほどきをしてくれる教材はまだない今、しばし「こたえ」探しが続くのはしかたがないかも知れません。

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