失われた13年を繰り返さないために・・

今回のタイトルは06年のインタビューにこたえる「アラン・ケイが描くパソコンの未来像(前編)・(中編)・(後編)」のサブタイトルです。この1年後にiPhoneが登場しましたね。

20世紀に蔓延したMacでないパソコンの時代を、彼は失われた13年と呼んでる。前々回スプレッドシートの話をしましたが、Excel、いや俗にいう表計算ソフトを使い始めて数年で、マックの中でそれほど重要でないアプリに追いやった理由も、当時読んだ「アラン・ケイ」という書物に書かれていた50年代の古い技術を取り入れたそれが「それほどのもの(みなが賞賛する)なのか?」という記述からでした。

いまのパソコンでもPCでもなく、Macでもない未来のコンピューターの行方が「ダイナブック」であり、それがいまも目標であり、日本的な「パソコン」を覚えるのがコンピューターを使いこなすことではない。スマートテレビスマートハウスなども「ダイナブック環境」の一員。本家を知らせずに次世代の夢を語るコマーシャルを見てると、日本のメーカーにそれらの使い勝手の良いインターフェースを提供できる能力はないと判断します。

電化製品と自動車は20世紀技術立国日本の両輪でしたが、性能優先で頑強さ回避の姿勢は戦前と同じ。人命より機材の性能と節減を御上目線で押し付ける。海外向けは完全装備で国内向けで穴うめ。この手法は食品も同じ。軽量で小回りが効き低燃費。鉄板は薄く、操縦・操舵も最低限の自動化で、起した事故は結局ユーザー責任。事故ルのは「お前さんのセイ」式の分厚いマニュアル付きがいまだに文化の国。

言葉が通じづらい多民族国家はアイコンと文字で共通化を促進、そのインターフェースを世界にも広めた。コンピューター画面にアイコンを持ち込んだのはアラン・ケイのアイデアだった。目的はだれもが簡単で分かりやすいためと、緊急時の(例えば原発事故ら・・)即断即行の補助、家電や機械の操作の標準化にも役立つ。

アップルデザイン戦略、というアップル関連の記事があります。こうした徹底的なこだわりをWinやAndroudが後から学び取って現在がなりたっています。マウスの動きの違いを知る先進ユーザーは日々がストレスに通じる重大問題でした。

こちらにはiPadはまさしくアラン・ケイの夢見たDynabookの実現か?、という記事があります。もし失われた13年という寄り道がなければ、iPadはもっと早くに登場したかも知れません。Windows 95当時、日本の家電メーカーとの共同歩調効果もあって広まったものの、ダイナブックを知らずに今ある自前の技術を取り込むだけで、結局コンピュータ化に見合う改革もなく効果はわずか、iMac登場とともに改革の号砲が打ち鳴らされたと思います。

FacebookはアップルとでなくSkypeを買収したマイクロソフトと提携して先行きに不安。FB社はInstagramを買収と二社の目論みが違うようでSkypeInstagramの使用は控えめにします。両社はダイナブックを理解していない様子。

こんご、過去のWinと同じメーカーとの共同歩調を優先すれば同じ失敗を繰り返す可能性も見え、何を血迷ったかWin 8でPCもスマートホンもタブレット一つのシステムで統一という道を選択。焦りまくってるのが素人目にも感じられます。アップルはすでに個別化に舵を切ってる

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