アップル対MSの争い、再び激化か--舞台はモバイルへ 7日追稿

 8月はお盆や夏休みで人の出入りが多くいつも忙しい時期で、ブログなどの投稿も例年滞るのが常。ほぼ1ヶ月ぶりの投稿になります。

今回は、舞台はモバイルへ、というタイトルが目に入り、MS社とアップルの秘話が過去から現在に至る経緯が描かれていました。今後の動向がどうなるかが気になることと、現在進行中のサムソンとアップルの裁判が多数行われていることもあって投稿します。

かってMS社はアップルに1億5千億ドルと秘密の資金提供でWin95の裁判を避け乗り切ったと言われています。サムソンのバックには本丸のグーグルがいますが、自分はアンドロイド陣営との戦いはすでに決着したと考えている。旧Mac OS時代、しっかりライセンスを取得していなかった時代でさえ、ジョブズのもう一つのコンピューター会社NeXTがアップルに吸収されて間もなく、資金提供が行われたくらいですから、今回のiPhoneiPadのデザインやインターフェースの特許は以前と違いしっかり防御されていると思います。

もう一つ、苦戦予想されるノキアの新型スマホ、というMS社の最新OS、Winフォン8搭載マシンの苦戦を予想する記事。MS社はポストPC時代を開けるか疑問。国産家電企業と二人三脚で時代を謳歌してきた20世紀型の企業ですし、自らPC時代を捨て去ることは至難の技と思います。

も一つ、ネット充実度で日本20位=スウェーデン1位、という記事。日本は国も企業も教育現場も、PCでもMacでも、電脳でもない世界と違う「パソコン文化」を広め、コンピューター社会の行方を理解しない市民を多数生み出したようです。

自分の考えですが、日本語で思い描く「パソコン」とは結局、習字とソロバン作業のモダン化の道具(事務機器)と勘違いしたようで、年金生活組の団塊世代の多くが退職後、消え去る寸前の20世紀最大の産業廃棄物のPCを購入する姿に唖然としています。時代の変化の足音さえ耳に入らない人の部下が、次に売れるものなど考え付くはずはない、という思いを強くしてます。

世界は「パソコン」のことはPC。中国では個人電腦。スマホは智能手机。分かりやすい。英語でもスマートには賢いという意味も含まれるらしい。一方の日本は電子計算機に始まり、ワープロマイコン、パソコン、ケータイと、行き先が何かほとんど感知できない言葉で市民が煙に巻かれた状態。

長年マックユーザだった自分は、Macがパソコンだと思ったことはない。アップル社でさえパソコンと宣伝したことはない。Personal computerはあっただろうが、日本のメディアの共通語としての「パソコン」とは意味が違っていたと思う。

その技術立国日本の旗頭の一つシャープの記事がありました。自分が知るアップルとシャープは、93年のNewtonの生産にシャープが関わったというのが最初。当時シャープはザウルスという製品名だったと思いますが、ペンタッチとボタンだらけのNewonもどきの製品を出していました。

技術がハード面しか得手でない現在の日本の状況は、わたしら素人でもこうなることは早くから予測できました。いま左派系民主党の政府がエコポイントで応援する太陽光発電なども、数年でもっと安いアジアの製品が蔓延しますから、補助など受けずに待ってた方が特なんですよね、地デジと同じく。企業を税金で助ける国って餌を待つひな状態で自由競争なんてモンじゃないですね。

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