団塊世代の反省 13日追稿

ここ数か月、兵庫県知事の話題でマスメディアを賑わす件について。自分達団塊世代の子供に類する世代だが、戦争を知らない戦後世代で、敗戦後、一世代前の戦中派とは全く違う価値観の教育なり、考え方なりを押し付けられ、日本そのものの将来が見えない時代に、各家庭の親としての躾けをどうするか、あるいは、教育現場の教師にしても、独立国でなくなった日本に、国家としての規範さえ崩壊し、GHQによる焚書や洗脳支配下戦勝国の将来構想で、訳もわからぬ方向へと日本が誘導された時代である。

そんな親たちが新式の学校へ入り、大学へ進み、就職先を求め、勤務先の分野ごとに違う価値観の社会で、その時その時の流行や話題、情報、報道に翻弄される日々だったはず。それも、欧米の一部の支配者に乗っ取られたマスメディアの思惑通りに、世間の一般常識がうまく操られる国家に成り下がっていた。

そんな世代の子供世代である今回の知事の行動を見て、肩書き的には人も評価する学歴や勤務先ではあったが、人として、多くの協力者があって組織が成り立つ、という、一番大事な処世術を理解していないようだ。

彼一人を攻めることは簡単だが、一方で、問題の本質は、戦前の欧米がうらやむほど危険な国家日本を、戦後焚書までして、歴史を消し去ろうとした事実を知る国民がどれほど居ようかという点である。

もちろん、彼の責任と今後の始末はマークされるが、最近、Z世代の職員と付き合う機会があり、団塊ジュニアの知事の、さらに次の世代の若者たちに注目する機会を得て、これからの日本は大丈夫か?という思いに駆られ、この世のカラクリをしっかり学ばねば、日本そのものの衰退は止まらないと感じるこの頃である。

昭和の小学時代、我が家には毎年、祖父や父が手がけていた、和菓子やパン製造の手伝い人が出入りしていた。戦後間もない時期で、ほとんどが各家庭の口減らしの中卒の男女たち。ただ、現在のZ世代と比較して、圧倒的に気が利き気が回る子供達だった。

この差は何だろう? 多くは実家が農家出身の子たち。まだ、会社のサラリマンなどという職業が広まる寸前の時代だった。ただ、飴屋、写真屋、呉服屋、菓子店、自動車販売と修理業など、職人気質の職業が次々生まれ始めた時代でもあった。

13日追稿

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