パソコンとコンピュータ=生活そのもの


今回の図版はApple社の現在の主力製品群。1986年以来身につけ愛用してきた「パソコン」と「コンピューター」環境を収納するデジタル情報の自分書斎でもあります。持って歩くものも含まれるので「動く書斎」(=なんと云えばいいのでしょう?)でもあり、自分の頭の中にある現在・過去・未来の記録と記憶と知識を能力以上に高めてくれる機器達(と、それを取り巻くネット環境)でもあります。

また、どんどん衰える記憶の置き場所や抽出する能力をカバーするのに役立つ自費ネット図書館とも繋がり、家庭のあちこちや出かけた先のパソコンでもブラウズすることが可能です。そこには自分が手に入れた文明の機器のマニュアルと設定岐路機がデジタル的に保管されれてるようになる。

この延長上にGoogleサービスやiCloudFacebookTwitterとも連携させた未来のサービスを練習しつつ使い勝手を模索中です。日本ではかっての「ワープロ」と「パソコン」と「コンピューター」を混同してしまい、iPhoneで時代が変わり、いまもってケータイとスマホの区分けも分からぬドコモの社長程度のユーザーばかりの国に成り下がってしまった。

ゆくゆくは自分自身も、大きな災害や介護や独居老人などで、家族や地域の人にも迷惑をかけるかも知れず、その際に、介添えする人ができるだけ最小限の負担ですむ自分でいたいと、そうした時の素早い便利なコミュニケーション作りは何かと探求しています。

身の回りには大きく分けて携帯電話系の回線と固定電話系の回線とがある。それぞれ速度や電波の届く範囲にも差があり、災害時の脆弱さにも違いがある。並行して電気の供給も必要で、内蔵電池の稼働時間も知った上で時間稼ぎを考えておかねばならない。

老化と健康を学んでも、いざという時の応急対策も広範囲。身近な情況を把握する文明の利器もある程度身につけておかねばいけないと思うが、携帯メールも受け取れない団塊世代前後の年代(50~70)のあまりに立ち後れたIT音痴さにあきれる。

本人の善悪以前に国の、メーカーの売らんがためだけの身勝手な開発方針が招いたツケが、今後大きくのしかかってくる。今後、本当に便利にと考え続けたアップルだけが希望のほしだ、といっては言い過ぎだろうか。

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