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日本の民俗宗教には、八百万(やおよろず)、と言われる程多種多様な神さまがいますが、それは、古代より日本人が山や海や木や岩など、身近な自然物のすべて、森羅万象を信仰の対象としてきたことと関係します。 また、古代の日本では、世界は人々が毎日を暮らす現実世界「ウツシヨ(現世、またはこの世)」と、永遠に変わらない、神や死者の世界「トコヨ(常世・常夜、またはあの世)」で成っていると考えられていました。興味深いことに「トコヨ」「あの世」は山の彼方や、海の彼方などにあるとされていて、大きな自然を「人知を越える境界」として怖れ敬っていた、と想像することができます。・・・と始まる。
上記は、日本人の宗教に対する捉え方の一面として、参考にはなる内容が記述されているが、自分なりにはその先に、気なることがあるので書き伝えようと思います。
よく、一神教と多神教の対比を目にしますが、要は、それぞれ人々が期待する「見返り」があるのか?と問われ、お布施やお賽銭、葬儀費用、お墓、納骨堂、法要やお返し等々、持ち出し側が圧倒的に多く、医療関連の世界同様、治りもしないのにず〜と病院奴隷にされているのに似ている。
逆に、体よく洗脳され、右向け右的な、なんの効果もないマスクを、元気な小さな子供にまで強いる、おかしな人種が作り出され、世の中全体が、「何かの奴隷」的な、支配者にとって好都合な人民操作に利用されている気がします。
信仰の話から外れているようでしょうが、今回のコロナ騒動に関わるウイルスは存在する証拠が一つもない、と日本の厚労省も、他国の保健省らも発表しているのに、政治家やテレビ・新聞らのマスコミは、先述のような不可視の世界で雲に巻く宗教組織に操られているような体たらくである。
医療関連も宗教関連も、金儲け優先の行動が目立ち、人々の信頼も信用も失いつつ(失った、かな)あるように思えます。 人を助ける、と言う本来の目的から外れた行動ばかり目に付く。