かみさん 15日追稿

よく奥さんのことを「かみさん」と呼ぶことがありますが、語源は別にして、我が家に自分が考える「かみさん」は居るのか居ないのかを問うてみて、自分にとって疑問や望み、祈り、願いを叶えてくれる「全知全能」の対象を「かみさん」という意味合いで考えて行くと、まだ居ないとも言える。

家庭内のことはなんでも知っている頼り甲斐のあるお方を「かみさん」と呼ぶ意味でなら、いるとも言える。

具合が悪くなって解決する知恵を教えてくれる人や自分の迷いを解決してくれる人を「かみさん=神さま」というなら、いまの病院も宗教も心もとない。病気は治らないし心は安らがない、という意味で。

まして、この世にある多くの「神的存在」は、本来、身の回りに不幸や不運なことを回避してくれよ、とか願い事を叶えて!とかでお付き合いしていると思いますが、何が最高位にある「神さまorかみさん」かと連続的に考えて行って、自身が見出した最高位のものが取りあえずの「自身の神」という結論になりそうだ。

そういう風に突き詰めて行くと、死を前にしてとか、病気や怪我で、本当に頼りになる「もの」が「それ」ということになる。

この話に結論はないのですが、世の中の人は何を信じて生きているのか、との疑問に対する答え探しの一つとしてアップしたものです。

15日追稿
P.S. 日本語聖書に「教会」という言葉が出てくるが、ヘブライ語の最初の聖書には「教会」という言葉ではなく、「集まり」という言葉だとある。ギリシャ、ローマ、欧州、日本と翻訳されて行くうちに、その国の支配層が都合よく変えていった様子が伺え、そうしたことから「かみさま」は自身の頭の中にあるもの、と思うように・・・。教会とか寺社などの建造物は必要ない、ということ。

 

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