気づく力を高める、について

外圧に鈍感な人が増えている現代、多くの社会人が「気づく力」を失っている。
気づくことで、脳回路が本来の動きをして、「行動」につながります。と始まる記事が

この場合の筆者は右脳的要素と左脳的要素でわけて述べている。

似たような話は、実は自分の身の回りにも多くあって、自分の場合は悟りとかひらめきと、空間認知能力という言葉で伝えようと考えている。

以前の下記、配布資料で示したように、

inacafe.hatenadiary.com 

 まず、人それぞれに必要とされる最大のものは、[神]という存在を信じて生きれるかどうかだと思うようになってきた。[神]というと大袈裟かつ場違いな言い方と思うかも知れないが、言い方を変えるなら「聖書」を読んで理解すること、でもいい。

 日本で[神]と言い始めると、どこかの寺院や神社、宗教団体や近間の教会などを思い浮かべるかも知れないが、そうではなく、自身の中にいて自分が信じる[神]のことであって、聖書で言う人の手を借りた三種の神器や偶像、あるいは仏像など、どう考えてもそれらが神であろうはずがないものを省いて考え、自分がこれが最上だと思う兄弟姉妹と共有できる[神]のことである。

 それに至った理由の一つは、5年ほど前から縁あってかこちらのブログに出会って聖書と交わる機会を得たのだが、数千年前に書かれたその本がいったい何を伝えようとしているかを教わるにつれ、それまで日本人として一般的な神社・仏閣はもちろん、それに交わる親兄弟、諸先輩、さまざまな宗教感を多くの人たちから聞き及んできたものの、聖書が述べ伝えようとしていることほど、心底これだと納得する[教え]に出会ったことはなかった。

 つまり、聖書は腰を引いて読むものでなく、前半の旧約部分はユダヤ人の成功と失敗を示す歴史書であり、後半の新約部分は、キリスト教の神髄とも言える「三位一体」の考え方を、2千年も前の時代背景の失敗から学ぶべき方向を書き記した伝導書であることを理解し得たからでもある。

 もう一つ、日本の神道は中国の道教から、仏教は景教の影響を受け、どちらもイスラエルからスピンアウトしたユダヤ人ら、中国に入って客家と呼ばれる人々によってそれらが生まれ、形を変え呼び方を変え、日本古来からある信仰の風土に交わり、知らぬ間に現代に取り込まれてきたと知るに及び、永年の疑問を解く鍵も開かれた。

 日本のいまの支配層の多く(上級国民)が、客家の一族と血縁のある人たちによって占められていて、タレントやアニメ、芸術、芸能まで、一族に関連する人々でなければ成功の座は与えられないようだ。

 以上のような世の中のからくりを理解しておかねば、上級国民でない私らや次の者たちが真面目に今回のタイトルが伝えようとする「気づく力」のような良い記事をいくら習得したところで、力も金もある上層との違った価値観から残念な結果に出あうことになる。
 
 そういったわけで、「聖書」を正しく学ぶ側の一方で、「偶像崇拝」しいては「悪魔崇拝」を第一とする客家一族の中の李家(含む:天皇家)が、現代日本を支配している現実を皆が知った上で、正しい神と共に右脳的要素と左脳的要素らの話を読解実践すれば幸運が舞い込もう。

 ひらめきや悟りも、神=宇宙=聖書から発する電磁波であり、ラジオのチャンネルを合わせるがごとく、自分の良い電磁波が送られれば、よいひらめきや悟りが還ってくると考えるべきかも知れない。
 

 

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