「自然」という日本語と、「健康という宗教」 1日追稿

 

「自然」という日本語は明治時代まで無かった-感謝の心を育むには、 と言う記事の中に

「伝統的なヨーロッパの考え方には二つの特徴がある。ひとつはすべて人間を中心にして物事を考えること、第二は唯一の神が存在することである。・・・とあり、東洋と西洋の違いを説明する内容がある。

世界には多くの宗教が存在するし、日本では馴染みの薄いキリスト教を、仏教や神道らと比較して、都合の良い解釈を数多く聞かされてはきたが、このコロナ騒動の時代、各自が不安や心配を取り除くための宗教やお札、お守りなど、何か持ち合わせているだろうか?

逆に、コロナ騒乱の先行き不安をなだめてくれる神社やお寺、教会らはありますか? テレビ・新聞、政治家や医療専門家らも同様、一年近くたっても「煽る」行為ばかりで、みなが疑問を抱く方向しか見えない。


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1日追稿

この画像は、下記のブログにあったもの。
既存の宗教が「宗教化した健康」以下なのかも。・・と思わずにいられない。

「健康という宗教」が世界中に拡大する中で強行された医療戒厳令。今や、医療と健康概念は神であり宗教となっているという現実

 

東洋と西洋、一神教と多神教などの分類ではなく、結果的に最上位にあるものは「何か」?であり、おのおのどう考えるか?であって、どこの神社、どの教会、何宗や何々派などではなく、「不安」や「迷い」を解消し「不幸」を回避する知恵(より所)をなにに求めるかだろう。

まさにコロナ騒乱はそれを見極める絶好の機会かもしれない。

 

 

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